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ロアマスターの保管庫 マラキャスとメイルストローム

気まぐれなマダム・ウィムが、新しいロアマスターの保管庫で半公ファーヌイヘンとデイドラ公マラキャスについて紹介します。

定命の者たちよ、こんにちは。類いまれなるウィムの館の所有者であるマダム・ウィムが、羊皮紙にしたためた言葉を楽しんで。ウィムの館はデイドラの領域の交差点、天空の籠とも呼ばれるファーグレイブで商いをしているの。もしかしたらあなたも来店して商品を試したことがあるかもしれない。もしまだなら、新顔や好奇心の持ち主はいつでも歓迎するわ。ぜひマダム・ウィムを訪ねてきて。

正直なところ、こういう類のやりとりには慣れていないのだけどね。ガブリエル・ベネレと、彼女の故郷のお茶を飲みながら楽しく会話をしたの。交渉が成立し、眉がひそめられ、この原稿の読者である皆さんから寄せられた質問に答えられるだけの励ましをもらったわ。

質問の内容は明確に異なる2つの話題に集中しているので、それぞれ個別に取り上げていきましょう。まずはメイルストローム・アリーナの主人から始めましょうか。

ファーヌイヘン

答えていく前に、まずご理解いただきたいことがある。ベネレのおかげで、この講義シリーズで以前ファーヌイヘンが質問に答えた内容を読む機会があったの。私は死んだ領域の朽ちゆく遺跡で商いをしている、単なる情報の仲介者でしかない。私が真実だと思っていることは、ファーヌイヘンやそのチューターによる興味深い言葉とは一致しないこともある。念のためそう前置きしておくわね。

マダム・ウィム

ファーヌイヘンは自分がデイドラ公ボエシアの子孫であると主張していますが、私は疑っています。あなたの秘密の網では、ボエシアがメイルストロームの半公を作るため、誰と関係を持ったのかわかりますか?

ご回答いただければ幸いです

Count Reman IV of Cyrodiil

外見だけでは何もわからないものよ。デイドラの実態は、クリエイシア生まれの私たちにとってさえ複雑だったりする。ある程度の真実は感じられても、アービスは定命の者に想像もできないほど奇妙なところよ。

メイルストロームの主人には申し訳ないけど、ボエシアの子孫だという主張が、一点の曇りもない真実だとは思えない。かつて一度タムリス家の小貴族と、称号とリベンスパイアーにある小さな別荘の相続権の取引をしたことがある。それと引き替えに私は、ダークエルフの正典をとても下品に解釈したものを受け取ったわ。その中にはもちろん、『ヴィベクの教訓』に関する膨大な量の記述も含まれていた。

これらの解釈と、私が長年やりとりしてきた他の会話を総合して考えたところ、ファーヌイヘンの誕生は本人の話よりもはるかに昔で、はるかに奇妙なものだという結論に至った。

私の話を信じないのなら、『ヴィベクの最初の教訓』を読み直すといい。定命の者の領域で手に入るものであっても、ボエシアに関する記述が、物語におけるファーヌイヘンの登場よりも数節も前だという興味深い点に気づくでしょう。まるでその記述と半公の登場が、まったく無関係であるかのように。

ちなみに、ファーヌイヘンの出生がどうであれ、子孫であるという主張をボエシアが認めていることは間違いない。半公がしているような主張は、ボエシアにどう思われているのかわからないのに、何度も繰り返し声高に熱弁するような内容ではないでしょう。

実際、記録に残された歴史を振り返ってみると、たとえ自分の領域のクリエイシアが関わっていなかったとしても、デイドラ公が誰かを養子とした例は複数見受けられる。それと同時に、もちろん、私たちデイドラが忠誠を誓う相手を変えることはたまにある… デイドラは本質的に変化をしないものだと、私よりもはるかに陳腐な作家たちが延々と言ってきたけれどもね。

話がそれてしまったわ。ほとんどの定命の者たちが使う「デイドラ」という言葉は、「自分たちとは違う者」とか「自分たちの先祖ではない」、もしくは単に「その他の者」という意味よ。ずいぶんと大ざっぱで範囲が広いと思わない?

親愛なるマダム・ウィム

私の知人はかつて、ファーヌイヘンの名前はドラゴンの叫びだったという仮説を立てたのですが、その存在に会って考えが変わりました。あの名前には何か特別な意味があるのですか?

それから、いつか島に遊びにきてください。究極のおいしいアロカシアのブレンドを研究しています。

Eristaanwe

なんて親切な申し出でしょう。ウィムの館はバターを塗った黒パンの上にアロカシアのジャムを乗せて出すことで知られているのよ。甘くておいしいお菓子で、少し頭がくらくらして体が宙に浮くような感覚に襲われることがある。デイドラの顧客ならだけど。定命の者の場合は確か、頭がおかしくなる瀬戸際までいくんだとか。

でも、あなたの肝心の質問からそれてしまったわね。とても面白い由来があるのよ。きっとあなたもお友達に話したでしょうけど、竜の言語とその言葉は、ファーヌイヘンのごく簡潔な名前とはほとんど関係がない。メイルストロームの半公、〈既知の動きを増殖させる者〉を自称し、さまざまな男爵の名前を引き合いに出したがるけども。とてもいい質問ね。ファーヌイヘン。どういう意味なの? どういう由来があるの?

あの半公がボエシアから生まれたとは思わないけど、理解するためにそちらの方向へ目を向けてみましょう。私がもし境界の力の存在で、自分のデイドラの親との結び付きを社会的地位として求める養子だったら、何を考えるでしょう?

読者の皆さん、私はアービスの至るところでデイドラ公に関する研究を山ほど取引してきたけど、量的に見て、ボエシアに関してチャイマーほど多くの記述を残している文化は他にない。デイドラを崇拝し古アルドメリスの外に住む者たちは、ボエシアの指示に慰めを求め、極めて一般的なボエシアの歌や祈りの言葉には、今でも彼らの言語の名残が見受けられる。

そこで、ファーヌイヘンの名前についても、チャイマーすなわちダンマーの言語から考えてみてはいかが? 私が養父の選ばれし者に気に入られるような名前をつけるとしたら、温かく歓迎されるようにするため、どんな名前を選ぶでしょう?

尊敬すべきマダム・ウィム

あくまでも学問的な興味からくる質問をさせてください。それ以外の意図はまったくありません。ファーヌイヘンが半公であることは知られていますが、そこで質問です。半公の特徴とは何ですか?

純粋に学問的な興味からくる質問で、私自身の血筋について半信半疑だからというわけではありません。

Taren Velas

こうした類いの質問や懸念は、ウィムの館で毎日聞かれるものよ。質問に対する本当の答えが欲しいなら、こっそり会うのがいいかもしれないわね。

公の場では、予測のできない半公という存在について喜んで話しましょう。半公というのは、なんというか、デイドラ公の一時的な気まぐれなのよ。私からしてみれば、定命の者がふとしたことから創造ができるのは面白いと思う。でも半公の場合、結合の相手が定命の者、デイドラ、その他まったく異なるものであっても話が違ってくる。一度この件についてアポクリファの相談役とじっくり話したのだけど、半公のことは極めて純粋なクリエイシアと「それ以上のもの」が結合した独特な存在だと表現していた。

デイドラ公と定命の者の場合、そのそれ以上のものというのはもちろん、あなたたちのように短命な存在がよく話したがる輝かしい者よね。その他の場合にはもっと難解で、正直なところややこしくて話しづらい。あえて言うなら、半公が存在するのは、デイドラの親がその存在を望むからよ。

定命の者たちに知られている数がこれだけ少ないのは、それが理由でしょうね。同類の中にいても、力の種類、そのような生まれがもたらす威光というのは両刃の剣よ。自分に問いかけてみるといい。とてつもなく強力な存在を親として持つのが、本当に自分が望むようなことだろうか、とね。

美しきマダム・ウィム

ファーヌイヘンは男爵のことを気に掛け、恋しく思っているようです。でも、まさか定命の者が大切な人に対して抱くような気持ちを持っているわけがありませんよね? デイドラにそんなことは不可能だと思っていました。

どう思いますか?

お答えいただけますと幸いです

A Wanderer

ひどいウナギパイの層のように、この質問には突っつくところがたくさんあるわね。ありがとう! まず2枚目の層にいくために、デイドラには何かができないという考えを捨てて。私の印象では、あなたたち短命の者は生き残る戦略として、極端な考えに走る傾向にある。「あの獣は緑で、危うく殺されそうになった。だからすべての緑の獣は危険だ」とか。

そうした考え方はニルンで有効かもしれないけど、いかなる領域においてもすべてには例外があるものよ。原則として、確かに私たちはデイドラよ。デイドラ公がクリエイシアから私たちを作り、それぞれの道に放つ。そして私たちが作られた時に定められた本質が、常に私たちの道を決める。でもデイドラは変われないからといって、変わっていないわけではない。私たちは思考して生きる存在よ。そして生命の本質というのは、ある程度の変化があるものではない?

自慢するわけではないけど、私自身がいい例よ。マダム・ウィム、野望に満ちたマズケンは長年の間に数多くの他の名前と姿を持ってきたわ。そして生みの親であるデイドラ公にとっては深い失望の種であっても、私は自分の生き方と選択にとても満足している。

あなたの質問の最初の層に話を戻して、ファーヌイヘンが男爵を気遣う能力について話しましょう。デイドラの感情は定命の者に理解できるものではないけど、だからといって私たちが無情な怪物というわけではない。私たちは単に、あなたたちとは違う形で人生とアービスを経験するだけよ。

その半公と男爵たちについて言えば、あなたには極めて理解しがたい関係であることは間違いないわね。男爵はファーヌイヘンであり、ファーヌイヘンは男爵なのよ。彼らが引き合いに出す〈既知の動き〉は男爵自身であり、半公の中で具現化され、内面そして(いずれは)外面での命を与えられる。だから、半公がモリハウスとの博打や、蝶番のものとの対決とか、昔から口にしてきた嘘が混じったその他の話は、どれもすべて一つの体の中にある数多くの存在なのよ。

こうしたことを踏まえたうえで、あなたの質問にできるだけ率直に答えたいと思う。確かにファーヌイヘンは〈このように動く男爵〉を大切に思っている。だって、ファーヌイヘンは誰よりも自分のことを大切に思っているのだから当然でしょう?

マラキャスとオーススウォーンの訓練場

親愛なるマダム・ウィム

アッシュピットはエセリウスにまで広がっていると言われています。ファーヌイヘンはデイドラ公の領域がその心、本質、意思の延長だと言っていました。それはつまり、マラキャス、さらには他のデイドラ公が、自分たちの意思と存在そのものを、マグナスの領域とその子たちに働かせられるということでしょうか?

C.E.Nex

「エセリウス」という言葉が紙切れに書かれていると、間違いなくおいしい取引になるとわかるものよ。私としても、和声的音階を網羅する古代ドゥエマーの音調の巻物と学識高いマズケンによって書かれた専門書との取引に何度も携わったわ。彼女はニルンとデイドラの領域を超え、エセリウスを津々浦々まで調べるのだと言い張る、極めて旅慣れた魔術師の付添人を務めていた人よ。

本当に読みがいがある書。ただし、残念ながら簡単に与えられるような情報ではないわ。

強いて言うなら、あの分厚い書の話を簡単に言い換えるとすれば、この場合はファーヌイヘンの話が真実だということ。デイドラ公は領域であり、領域はデイドラ公であり、その二つを分けて考えることは馬鹿げている。ファーグレイブという遺跡を観察するだけでも、エセリアルの均衡からデイドラの力が取り除かれると何が起きるのかが見て取れる。滅多に起きない出来事ではあるけど、まったく起きないことではないわね。

質問の他の部分について答えると、私であろうと、他の命ある存在であろうと、デイドラ公とエドラの間にどんな関係があるのかを本当に理解していると言える者はいないと思う。私は定命の者の何倍も生きてきたのよ。そんな私がこれまでに交渉し、購入し、取引してきたものを見る限り、エドラというのは定命の者が夜に安心して眠れるよう自分に言い聞かせる、素敵な物語上の存在でしかない。

尊敬すべきマダム・ウィム

マラキャスの像は長剣を持っていますが、スカージやヴォレンドラングといった他の武器に比べるとあまりよく知られていません。古代、戦士トリニマクはマラキャスに変わる前、ペニテント、すなわち勇気の刃を使っていたと言われています。マラキャスの大剣について教えてください。古代の剣、ペニテントとは関係があるのでしょうか?

よろしくお願いします。

Sir Cyandor F. of Seyda Neen

ああ、知っているわ。恐ろしいデイドラ公に食われたけど、邪悪な民の残酷なデイドラ公として戻ってきたという勇敢なる戦士の神の話ね。

皆さん、とても興味深いことだと思うんだけど、この件においては私のように、ニルンでの日々の経験から完全に切り離された大昔からいる存在のほうが、学者や司祭よりも洞察力を持っているらしいわね。これまでで最も簡単だった取引の中には、これとほぼまったく同じ答えを求めるオークの僧侶の魂のためにした取引があった。彼は私が届けた文書を10年間徹底的に調べ、最終的には私が取り立てにいって、自分の運命に引き合わせるはめになった。

たった一つのマラキャスの儀式の封印を解いたり、第一紀のトリニマクの祈祷書を開くまでもなく、彼が知りたかったことはすべて私が教えてやれたのよ。

私たちデイドラは、あなたたち定命の者と本当に多くの面で異なるわ。でも、だからといって私たちが完全に異なるわけではない。デイドラ公についてはさらにそう言える。僻地の村のいじめっ子は、金耀に輝くバッジを振りかざして宿屋の周辺を練り歩けるように盗賊と仲良くなるかもしれない。デイドラ公は質問に答え、自分がかつて全能のエドラだったという噂をもみ消すのを避けるため力を尽くすかもしれない。上でも下でも同じことよ。

マラキャスの像がなぜ剣を持っているのか私にはわからないけど、ニルンの歴史の記録が奇妙で独特な残酷さを持ってオーシマーを扱っていることは知っている。だから単純な問いかけをせずにはいられない。どちらが真実味がある? 全能のエドラがデイドラ公によって食われ、オブリビオンのはるか遠くの領域でただの抜け殻に作り替えられたという説? それとも、偏見を持った定命の学者は最もオークと関連付けて考えられるデイドラ公が、かつて偉大だった神の文字通り排泄物だったという比喩に飛びつくだろうという説?

この最後の質問はオーススウォーンの訓練場にもメイルストロームの出来事にも関係がないけど、不合理な質問だから注意を払うに値すると思ったの。私はつい笑ってしまったし。

親愛なるマダム・ウィム

信頼できる情報筋から、あなたのところの従業員であるミクゲトというならず者が殺されたと聞きました。このならず者は(聞いたところ)いずれハルメアス・モラに匹敵するほどの知識を集める能力を持っていたそうです。能力の劣るデイドラがいずれデイドラ公のライバルとなる、もしくはデイドラ公になることは可能なのでしょうか?

Kardimor Endekius, Researcher of the Iridian aspects of Magnus

質問にある2つの点について別々に答えるわね。ミクゲトの死は間違いなく、知る者に匹敵する力を持つだろうと考えられたから起きたことではないわ。言っておくけど、この内容を初めて読んだ時、私の部屋に笑い声が響き渡ったわよ。それからあなたがどうしてそういう結論に達したのか、ぜひ知りたいわ。ウィムの館へぜひ会いにきて。この興味深い主張にちなんで、何か取引ができるかもしれないわ。

その次に述べられたいろいろと考えさせられる意見について言えば、厳しい条件付きで否定しましょう。私の知る限り、デイドラ公の力は最強のものたちでも及ばないものよ。条件付きである理由は、ありえないかどうかわからないから。これまでに一度も起きたことがないのは確かだけど、ニルンの内外では奇妙なことが日々起きていて、前日までの「常識」を揺るがしているからよ。

私の疑問を定命のあなたにも理解できるようにかみ砕くため、川を考えてみて。その流れは変化に富んでいるわ。干上がることもあれば、恐ろしいほどに増水することもある。大洪水が起き、川底が大海の底に沈むとすれば、それはまだ川? それともその川は海?

とりあえずはここまでにしましょう。仕事があるの。顧客の相手をして、うっとりとするような可能性を探らなくては。いつかまたこういうことをしましょうね。

それではまた。近いうちにウィムの館で会えるようお待ちしているわ。

今回のトピックで質問を寄せてくれたESOコミュニティの皆さん、本当にありがとうございました。

ロアマスターの保管庫で秘密を手に入れ、デイドラの聖域を襲うイセリアの末裔と戦う準備ができましたか? 今後降りかかってくる危険に対して心構えができましたか?

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