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ロアマスターの記録:アルカニスト

今回のロアマスターの記録では、アザンダー・アルサイビアデスがアルカニストとアポクリファの神秘的な領域とのつながりに関する質問にお答えします!

聡明な冒険者の皆さん、ごきげんよう!アルカニストに関するあらゆる知識を収集した学者として、皆さんからの質問に回答する場を得られたことを光栄に思う。この最も難解で神秘的な追求について、少しは解明できる機会を待ち望んでいたところだ。

自己紹介が遅れてしまったな。私の名はアザンダー・アルサイビアデス。運命の可能性についての理論家であり、神秘の謎の蓄積者、そして最高位のアルカニストである。グウィリム大学から招待を承諾した時は、この上ない喜びを感じたよ。学業に優れた聴衆からの質問に答えられるとは、なんと素晴らしい!

以前、私が執筆した論文の出版が拒否されたにもかかわらず、いや、むしろそのことがあり、私はアルカニストに関する哲学および魔法学について話す機会を非常に楽しみにしていた。読者の皆さん、準備はいいかい。触れておきたい話題は多いし、無駄にする時間はない。早速始めよう!

こんにちは、アザンダー・アルサイビアデス。

どうすればアルカニストになれますか?

-Lunetta Gleamblossom

この問いに対する答えは、この世界にいるアルカニストの数だけ存在するだろう、Gleamblossom。ある書物が、何らかの理由でアポクリファからニルンへ旅に出かけ、やがてその書物独自のインフラルクスに共鳴する定命の者の魂を見つけ出すのだ。その書物の内容や発見時の状況、定命の者と書物の繋がりは、それぞれ特有のもので、全く違った経験になるのだ。

その相互作用の賜物であるアルカニストもまた、この現象の具体的な例と言えるだろう。私のようなアルカニストの中には、学術的な観点から離れて書物の内容を見る者もいる。また他には、アルカニストを自分の人生を生きるための新たな骨組みとして捉える者もいる。一部は、ハルメアス・モラ自身のように知識に飢えていたり、残りの混沌とした人生を孤立した学問の世界に閉じこもったりする者もいる。

私がこれまでに話をした他のアルカニストたちの「馴れ初め」を公表するのは気が引けるが、自分自身の「馴れ初め」であれば、喜んで皆さんにお聞かせしよう。当時、私の人生は、精神的にも経済的にも非常に厳しい状況に追いやられていた。センチネルにある古本屋で、気に入っていた料理本の旧作を探していた時のことだ。背表紙の列に沿って手を走らせていたら、言葉通り、その本が私に噛みついてきたのだ。指先をつまむと、血が滲んだ。しかし、その本の中身を読んだ時、私の苛立ちはとてつもない驚きへと変わった。こうして、王国の旅人でありアルカニストであるアザンダー・アルサイビアデスの長く輝かしいキャリアが始まったのだ。

なぜ今になって、これほど多くのアルカニストが姿を現したのでしょうか?

-ウッドオークのFonarikより

Fonarikよ。魔法の常として、知覚は現実である。実際のところ、アルカニストは新しい現象ではない。実を言えば、私は数十年前から自分の書物やアポクリファの書庫を研究してきた。最近になって私たちが注目されるようになったのは、まさに私がこの議論に参加するよう依頼されたその理由が、ある種の統計的な転換点に起因すると私は信じている。私たちの仕事は本質的に秘密主義であるにもかかわらず、現在では以前よりもはるかに多くのアルカニストが取引を行っている。その数の多さが、私たちの魔術的枠組みに注目を集めるようになったのだろう。

また、もし私が「アルカニスト」という言葉を、私たちが自分で胸につけたバッジのようなものとして捉えていなければ、私は実に稚拙な学者になってしまうということにも留意しておきたい。以前、大学のディスカッションパネルで「ウォーデン」について議論した際、ギルドの魔道士ドゥレフが、非常に示唆に富んだこのような回答をしていた。結局のところ、魔法は魔法に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。魔法に引かれた境界線は死すべき運命にある。

では、何故アルカニストは以前よりも増加したのか?強いて言うなら、アービスのエセリアルの根幹に何らかの変化が生じたと推測している。次元融合は私たちアルカニスト全員にとっての時間であり、私たちが生き延びる限り、一人ひとりに一生語り継がれる物語を残してくれるだろう。恐らくはこの出来事、あるいはそれに類似した何かが、ニルンとデイドラの領域の関係を変えたのだろう。そして、この変化により、より多くの書物が定命の者の手に渡ることを促したのだろう。

こんにちは!

アルカニストは呪文を詠唱する際に「ルーン」を用いるとのことですが、このルーンは私たちが知っている他のルーン、例えばルーンストーンのルーン言語と何か関連があるのでしょうか?

-塩の歩き手社の付呪師、Benessa Gibbyより

やはり、鋭い質問をする達観者が、このことについて尋ねてくるだろうと思っていたよ。比較と対照をしてみよう。詠唱とは、第一紀にまで遡る古くからの名誉ある職業であり、ルーンとは力への道を指す。新しいルーンの開発は定期的に行われており、付呪師の間に存在する共通の言語によって、アイテムに神秘的な特性が吹き込まれている。ルーンには独特の重要な意味が込められており、意思に従って何度も発揮することができる。私自身、この分野にはある程度の技術を有しており、正確さと芸術性が同じくらい要求される分野でもある。

少々気恥ずかしいことに、アルカニストが振りまいている「ルーン」は、潜在意識のメタ魔術的構築物を表す記号にすぎない。アルカニストのルーンは、そのアルカニストにとっての内的な意味を超越すると、何の意味も持たなくなる。

研究により、アルカニストのルーンの言語は普遍的であることが示されているが、個々のアルカニスト間で同じ概念を共有しているわけではない。例えば、私の呪文では「力」を意味するシンボルを描くとする。しかし別のアルカニストにとっては、同じシンボルが 「火」を意味持つと主張する者もいよう。私の知る限り、これらの印はアルカニストの呪術に特有のものだが、定命の者と書物の一対一の関係のように、これらの印の使い方もアルカニスト特有なものとなっている。

しかし、一学者として、そうでなけらば良かったと思う。この疑問を思い浮かべるたび、モラ自身が私を嘲笑っているような気がするのだ。

難解な印やグリフを生成するアルカニストの呪文は、物理的にかなり複雑であるように見えます。呪文の詠唱に関連した精神面の手順については不確かですが、何故呪文には呪文や印、そして激しい儀式が必要なものもあれば、単純に手を翳すだけのものもあるのでしょうか?また、アルカニストの技術は、その書物は光り輝きながら浮かび上がる印とともに、このスペクトラムのどこに位置付けされているのでしょうか?

-モルワの祝福を、アリクルの遊牧民のArtun at-Itamenより

Itamenの末裔であるArtunが、実に素晴らしい質問をしてくれた!呪文を詠唱するということは、個人の中に蓄えられた魔力を、自分の心と意志を通して世界に流すということだ。私の職業を端的に表現しているとの理由から、実は「willworker(意志労働者)」って呼び方を気に入っているんだ。農業を営んでいる兄が自らを農夫だと名乗るように、自分の意志で仕事をする人間である私は、意志労働者と言えよう。

自分個人の力で現実そのものを変えるという行為は重労働だ。初心者の魔術師は誰でも、最も基本的な呪文でさえ、試した途端すぐにこの事実に直面するだろう。初心者の魔術師が所有する個人的なマジカの蓄えは非常に少なく、この蓄えが回復するまでにはかなりの時間を要する。手のひらをひらひらさせる戯言に慣れ親しんだ古株である私の蓄えは並外れているものの、それでも無限ではない!

そして、最も若い魔術師でさえそうであるように、私は自分の精神と思考を根付かせるために、技術を駆使している。そうすることで、素早く効率的に魔法と繋げることができる。特に、「魔法の言葉」はマジカを引き出すのに最適な方法であろう。私は新しい言葉を考えるのが好きで、単純で繰り返しの魔法は、この技法の恩恵を大いに受けているんだ。

特にアルカニストが手を翳したり、表語文字を使ったりしがちな理由については、私たちの力の起源と関係があると推測している。訪れたことのない者のために説明すると、アポクリファは力の底流が非常に自由に流れる場所だ。アルカニストの魔法は、主観的な観点からは「強力」であることに違いはないが、マジカが私の頭の中を流れる時、それは他の呪文詠唱者も経験しているとは思えないような活力と勢いを持っている。

結果として、必要のない余分な可能性はすべて、「どこか」で消費されなければならない。こうした理由から、私たちがお茶を飲むためにお湯を沸かしたいだけなのに、表語文字や果てしなく続く蔵書庫の影がかかったビジョン、そして余計な触手がこの世界に入り込んでしまうのだ。

アザンダーへのお便り

もしアルカニストの書物を偶然見つけたら、どうなってしまうのでしょうか?どこぞの収集家によって、力が呼び起こされることはありますか?

-魔術師ギルドの賢者、Gwenaelle Mathisより

有難いことにそうはならない。先ほども述べたが、あらゆる書物におけるシンボル学は、個々のアルカニストの心、或いは魂に起因している。もし君が私の書物を手に取っても、そこには理解できない意味不明な内容が記されているだろう。ウェイレストのロマンス小説ほど危険で神秘的かつ啓発的なものでない。同様に、私が他のアルカニストの書物から何かを得ることはできない。私と他の何人か研究熱心なアルカニストで試してみたが、別の書物に記されたシンボル学に関する知識を伝え、それをいつまでも保持する方法はない。学問の厳密さにとっては災難であることは承知している。

デイドラのアーテファクトは人々を堕落させて操り人形にしたり、デイドラの獣に変えたりする可能性を秘めていますが、アルカニストが使う魔法についてはどうですか?

-第十三軍団のGaius Sullaより

鋭い質問だ、Gaius。私からの答えは「場合による」だ。アルカニストの議論ではよく出される回答だが、もう気付いていただろう。私は定命の者と書物における独特な融合は、文字通りの意味と超魔術的な意味の両方で、いくつもの軸にまたがる特定の表現であると考えている。

私自身、そして私が会った他の多くのアルカニストたちは、自身の魔法を目標達成のための手段だと捉えている。他のを目的を叶えるため、あるいは特定の結果を追求することで自分を守るために使う道具だとも。一般的に、私はこのような分離された枠組みが、私の心とアポクリファのサイレンの歌そのものとの間に距離を置くことを可能にしていると信じている。結局のところ、これこそ私がアルカニストであることについて言える不変の真実だ。そして、私の力の源泉は、ハルメアス・モラの領域で沸き上がっているのだ。

また、書物とそれがもたらす力について異なる見解を持ち、明らかに異なる道を歩む者もいる。与えられた力の代償として、不可避の知者には身も心も捧げる必要があると感じている者もいる。個人的にはその必要はないと思っているし、「知る者 」がその代償を求めて来るようであれば、自らの手、いや、あの気色の悪い触手で交戦することを強いられるだろう。

さらに、アポクリファそのものを守ることに惹かれ、文明から遠く離れた場所に引きこもる必要性を感じたり、定命の者の頭では発見できない難解な世界を求めて、アービスの奥深くへと真っ逆さまに飛び込んでいく者もいる。

私の見解は、アルカニストの力とは、自分で決めるものだということだ。そしてデイドラの腐敗は、遺憾ながら、さまざまな種類の力の追求の潜在的な最終状態である。私は、自らに「テンプラー」の烙印を押した非常に高貴な戦士を少なくとも一人は知っているが、その戦士は現在、モラグ・バルであらゆる生き物が集う教団のリーダーを務めている。権力は腐敗する、と言われるように、私はその腐敗と闘うために、警戒、勤勉、そして有能であることを重視している。

私と、ここデシャーンにいる仲間のクワマー飼いたちは、数週間にわたって最も深刻な議題について討論してきました。「アルカニスト」は本来どう発音するんですか?私たちはこの議論について、殴り合いに近い状態まで発展しています。

-Golar Aranoより

普段は発音論争に巻き込まれるのを嫌う身だが、この質問への回答は実に単純だ。私が「アル・カ・ニスト」のように発音するのは、「アル・ケーン・二スト」という風に発音すると、大きく声で発声しにくく感じるからに他ならない。

私がこれまでに出会ったアルカニストは、何らかの形でハルメアス・モラやアポクリファの領域に属していました。他の領域やデイドラ公からパワーを得ているアルカニストはいるのでしょうか、それとも 「アルカニスト 」とは、もっぱらハルメアス・モラに関係がある者を指すのでしょうか?

-女主人Milore Telvanniより

ああ、やっと頭を悩ます必要のない質問だ。素晴らしい質問だよ、奥様。

先ほども述べたように、そういう訳ではない。私には誰がアルカニストで、誰がそうでないかを見極める確かな判断材料が一つだけある。それは、私たちは皆、絆で結ばれた書物を通してアポクリファから力を得ていることだ。したがって、定義上(このようなものが価値があるのであれば)、別の次元から力を引き出した定命の者はアルカニストとは呼ばないだろう。スタンス的には(魔法はスタンスだけでなくその内容も重要である)、私たちの技術で利用しているアポクリファの書物は、この魔法に大きな風味を与えていると考えている。この書物に出会う以前から、私は本を読んでひらめきを感じる「魔法のような」経験を何度もしてきた。私の人生経験をかなり大げさに単純化すると、アルカニストの魔法はそれに似ている。しかし、それ以上の力を持っている。

ごきげんよう、アザンダー・アルサイビアデスさま。

私の専門は過去の秘密を解き明かすことですが、魔術師ギルドの一員として、あらゆる種類の知識に興味をそそられます。あなたのようなアルカニストにとって、シャド・アツーラの魔術師たちによって創られ、誉れ高いガブリエル・ベネレによって受け継がれてきた魔術の流派の中で、あなたの才能はどこに位置すると思いますか?

お返事お待ちしております。

-考古学者兼ウェイレスト考古学博物館館長、Floritte Vinielleより

このセミナーを主催している彼女は、もちろん鋭敏な頭脳の持ち主で、魔術師ギルドの気難しい凡庸さの中に燦然と輝く炎を放っている。Floritteさん、あなたもそうであることは間違いない![編集部注釈:公の場でお世辞を言ったところでどうにもならないよ、おじさん。]

ガブリエルの魔法分類に関する論文「提案:魔法の流派」には、一読の価値がある。彼女の補足文書は非常に興味深いものだ。また、私自身がごく短い時間をシャド・アツーラで過ごした経験からも、伝統的な魔術師ギルドのカリキュラムに比べ、この分類システムの方が初心者の魔術師が「魔法の種類」を理解するスピードが速い、という彼女の主張を裏付けている。

あなたの質問についてだが、 私がアルカニストとして、あるいは他のアルカニストとして観察してきた呪文の大半は、主に秘術と召喚の流派に分類される。アルカニストと共に学んだことのある者なら、私たちが盾や触手、武器、その他のエーテルの構造物をいかに巧みに作り上げるかを見たことが必ずあるだろう。私たちが多用する表語文字的な表現と、マジカを物理的な形にする能力との間には、共鳴的な整合性が存在すると私は信じている。

私自身、魔法の基本はほとんど独学で学んだ。幼少期には、穴が開くほど本を熟読したよ。自分に向けられた書物が発見されてから数年経った今、シャド・アツーラの訓練が示す厳格で迅速な線引きは、この年老いた学者にはいささか恣意的なものに思える。だが、すべての魔術師が神秘の公式を即興で作れる才能があるわけではないからな。そうであろう?

アザンダー・アルサイビアデスさま

私たちの世界が、次から次へと現れるデイドラ公によって引き裂かれている今、あなたに直接的な質問をすることをご容赦ください。なぜニルンの民はあなたの様な人を単純に滅ぼすのではなく、寛容になる必要があるのでしょうか?多くのソーサラーがデイドラと取引している一方、あなたのように多くの目を持つローブを身にまとい、腐敗したインクで戦場を覆い尽くすような、露骨に自らの関与を示す者はほとんどいません。

-Rosaria Draconisより

おお、なんと! 包み隠さない直接的な物言いをありがとう! まず初めに、Rosaria嬢自ら挑戦してみていただきたい。正直に言うと、何度も殺されかけてきた経験から、誰かがきちんと私の息の根を止めることができるのかを疑問に思ってしまう領域まで到達してしまった。

あなたの攻撃的な物言いはさておき、質問の核心を突くとしよう。あなたはアルカニストに対して何も恐れることはない。アルカニストの魔法は、前述したように道具であるため、善にも悪にも等しく行使できる。その根源たる意味を理解するのを困難を極めると思う、私もそれは理解しているつもりだ。さては、あの触手が気になるのかな?率直に言って、私でさえ度が過ぎると思う部分はある。確かにある種のパフォーマンスに見えてしまうのも納得だ。だが、コザンセット周辺の遠い水平線が、私の世界の範囲であると切実に恐れて育ってきた身として、私たちは利用できる道具はすべて最大限に活用すべきだと強く信じている。例えそれが時に蠢き、目玉が生えようともな。

これはすべて、魔法そのものがあなたの怒りの原因ではないという仮定に基づいている。もしそうであるのならば、今一度、私の破壊を試みていただきたい。あなたが望むような楽しい体験になるとは思わないがな。私は老いているかもしれないが、まだまだ現役のつもりだ。

私も騎士の端くれであるため、いわゆる「ルーンの騎士」と呼ばれる存在について興味を持っております。彼らについてご教授いただけますか?彼らは騎士となったアルカニストなのでしょうか?彼らは何らかの規則に従っているのか、ある特定の騎士団に所属しているのでしょうか?ルーンの騎士になるためにはどうすれば?また、彼らはタムリエルに存在する騎士の伝統と比べてどのような違いがあるのでしょうか?

-聖エレイドンのGreensly卿より

私はアルカニストの魔術の歴史について長きにわたり調べてきたが、この私でさえ、貴殿の研究のためにわずかな助言しか提供できそうにない。そして貴殿には知る資格があるのだよGreensly卿。第二紀の初期に、「過去のルーンナイト」は非常に小規模で、秘密主義な騎士団であったようだ。難解で得体の知れない守護者によって設立されたこの騎士団は、アポクリファからニルン全土の戦いに赴いたと私の研究は記している。もしかすると、この人物はデイドラだったかも知れない、はたまた、高貴な領主の姿を身にまとった、強力だが好戦的ではないアルカニストだったやもしれない。

私が知る限り、結成から解散までの期間はそれほど長くはなかったが、私と同じ理由で彼らの名前を聞いたことがあるのは貴殿も同じであろう。彼らはアルカニストの魔法を使った結界の技術をいくつか完成させたが、それは場合によってはまったく変わることなく現代まで残されている。この堂々とした戦士たちが、何百本もの矢をものともせず戦場に乗り込んだという話は、間違いなく作り話だと結論できよう。しかし、そうであると言い切ることもできない。

さて、今回の質疑応答はここまでにしよう。研究しなければならないことや、探索する必要のある次元、行わなければならない実験が溜まっていてね。この貴重な場で、アルカニストの魔法について話をできたことは、この上ない名誉であった。まだ質問があれば、使者を通して連絡してくれたまえ。言うまでもないだろうが、いつでも喜んで話をしよう。

慎重に、思慮深く、常に最終的な目標を見据えること。友よ、また会おう。それまで、高みを目指して前進を続けよ!

タムリエルの奇妙なアルカニストにまつわる質問をお寄せいただき、ESOコミュニティの皆さまに感謝します。ネクロムの新クラスに関してさらなる質問をお持ちの場合は、公式フォーラムでコミュニティに訊いてみましょう!(※リンク先は英語表記となります)

アポクリファの謎を解き明かそうとする者には大きな力が待ち受けていますが、あらゆる啓示の背後には大きな危険も潜んでいます。現在配信中の新章「ネクロム」で、アルカニストのクラスの奇妙な力はもう習得しましたか?

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